そろそろ「学校」廃止論を始めるべき?

不登校の子供が過去最多となっているそうです。

平成29年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果について

そこで、不登校をゼロにするために
あえて突飛な意見をぶちこんでみます。

学校、なくしちゃいませんか!?

まず前提として。
現代において子どもが学校に通うのは当たり前の常識となりましたが
歴史上、子供の教育において「先生が子供の自宅に通う」スタイルのほうが
むしろ多かったことについて再認識してもよいのではないでしょうか。

IT業界において中央集権的システムと分散型システムと、時代時代において
隆盛が入れ替わってきたように、教育分野においても
中央集権(学校に生徒が集まる)と分散(生徒の自宅で学習する)を
平成が終わる今、大胆に切り替えてみるのはどうでしょうか。

効率性なら東進ハイスクール

代わりとなるのは、たとえば通信教育スタイルです。
東進ハイスクールみたいな録画授業をネット視聴で活用しつつ、
リモート面談などで学級担任としての個人的サポートをする、みたいなものなら今の技術があれば可能でしょう。

あるいは余裕があれば、家庭教師として録画授業では賄えない部分を
全面的にサポートするというのもありかもです。

子どもの起こす問題行動のタイプによっては、大人が専任で対応することはどうしても必要なときもあるでしょうから。

集団生活でこそ学べるような社会的な知識や経験の欠落分がデメリットとなりますが、
そこは授業以外の学校行事などで多少はカバーできるでしょう。

あるいは寺子屋

また別の方法論として私塾(寺子屋)スタイルも興味深いです。
「私塾」なので現代の塾ほどの規模もなく、本当に特定の個人たる先生が
特定の内容について教えるもので、教科担任が独立して1つの塾を作ったイメージです。

そのような「小さな学校」とも言える小集団を地域に何種類も用意し
子どもは学びたい内容や相性の合う先生、居心地良い集団かどうかなどによって
幾つかの私塾を教科単位で任意に選べる形です。

個人的には、集団あるいは組織の中で学ぶメリットは大きいと思っているのですが、
組織というものは、どうしても多数のためにあり少数は排除されてしまう性質があります。

不登校の子どもというのは、そういう組織そのものに適合できなかった少数なわけです。

そこへ「無理やり適合させる」のではく「組織に属さなくても学べる」という別の選択肢を用意してあげてはどうでしょう。
そのための技術や方法論は、現代ならばもう十分に備わっていると思うのですけどね。

まあ実際には難しいであろうことは百も承知で。
常識にとらわれず最善なことを考えていきたいものですね。

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